たくさんの支流が集まる四万十川。
四万十川という名称はもともとは通称であり、たくさんの川を集めている川の総称であったようです。
大小200~300ほどの支流が流れ込む四万十川。
大雨が降った時に山から流れ込む小さな谷川も数えたら、それこそ四万と十ぐらい存在するかもしれません。
”幻の滝”のような、大雨の時だけ山の急斜面に現れる滝もあります。
諸説ある名前の由来
以前のブログで、その諸説をいくつか紹介しました。
アイヌ語の「シマ」や「シマムタ」を語源とする説.
四万十川から十川までを結ぶという説
四万十川名称の由来、上流の四万川川(しまがわかわ)から下流の十川(とおかわ)までを結ぶから
昔、山の木材を川に流して送っていたことから来た説
神様が渡る川
さて、今回は神様が渡る川に由来するという説です。
下流域にある旧中村市(四万十市)では、もともとこの川を渡川(わたりがわ)と呼んでいまいした。
現在も、渡川水系四万十川となっています。
河川法が制定された昭和3年、「渡川(わたりがわ)」が正式名称として登録されました。
もっと古い時代江戸時代の文献「土佐物語」(宝永4年)には、「四万十川」と書いて「わたりがわ」と呼び、それが「四万渡川」、これが省略されて「渡川」となったいう説があります。
旧中村市(現四万十市)の下田の海から、上流域の檮原町 四万川の竜王様までを、神様が渡り結んでいるから、四万渡川⇒四万十川なったという説があります。
(参考出典:四万十川の語源について http://4010river.blog.fc2.com/blog-entry-61.html)
そして、四万十川中流域にある、最大の中州、三島(みしま)
ここは昔、木材を川に流して送っていた頃、一ノ瀬、二ノ瀬、三ノ瀬と急な瀬がある、大変な難所とされていた所です。
筏師(いかだし)は、ここで手拭いを取り、三島神社で安全の祈願をして下流へと下って行きました。
三島は昔から聖地とされ、島の周りにしめ縄をはり囲んでいた時代もあったようです。
三島へ渡ることから、「四万渡川」そして、「四万十川」へとなったという説。
四万十川の名前の研究をされている方からも、神様が渡ることから四万渡川⇒四万十川になったという説を聞きます。
いずれにせよ、信仰心の厚さからきている由来だと思います。
と、四万十川の名前の由来、諸説ありますが、いったいどれが本当なのか、、私もわかりません。
でも、それだけたくさんの人に愛されてきた川なのだと思います。
今もそうだと思います。
住んでいる私たちにとっても、なくてはならない存在です。
自然の美しさ、雄々しさ、怖さ、大切さを、四季折々に教えてくれるからです。
渡川から四万十川へ
四万十川という名前に変更されたのは、平成になってからです。
実は、NHKの特集番組「土佐四万十川~清流と魚と人と」(昭和58年)の中で、「日本最後の清流 四万十川」と紹介され、以来、通称であった四万十川の名前が全国的有名になったことがきっかけです。
地域住民の強い要望もあり、平成6年7月25日に「渡川」から「四万十川」に名称が変更になりました。
一級河川としては、初めての名称変更となりました。
中流域に住んでいる私たちは、支流はそれぞれの名前で呼びますが、本流の四万十川を大川と呼ぶことが多いです。
「大川に泳ぎに行ってきまーす」と子供の頃から慣れしたしんできた大切な川です。
川でウナギを獲るためにコロバシをつけたり、アユを釣ったり、火振漁をしたり。
仕掛けをして、ツガニや手長エビを獲ったり。
これからも、子ども達がこの川で泳いだり釣りをしたりと、慣れ親しんでいけるよう、私たちも心がけていこうと思います。
コメント