予土線の歴史、前身の窪江線の工事にかかわったお客様がご乗車

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四万十町十和 観光

秋晴れのトロッコ日和の中、今日もしまんトロッコ1号が運行しました。

寒くもなく暑くもなく、ぼっちり(←土佐弁でちょうどという意味)の季節ですが、トロッコの中は、もろに風が吹きます。

何か羽織るものがあれば便利だと思います。

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窪江線、三島の鉄道橋の橋脚工事

予土線は、昭和49年に全線が開通しましたが、窪川ー江川崎間は窪江線と言われ、昭和36年に工事が始まりました。

そして、昭和48年、窪江線と宇和島間が結ばれ、四国の鉄道が初めて循環するようになりました。

翌年、昭和49年、窪江線から予土線と改称し、全線が開通しました。

全線が開通した時、私も学校のみんなと、打井川駅でお祝いの旗を振った覚えがあります。

 

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予土線が開通するまで

さて、今日は、窪江線と言われていた当時、予土線の鉄道橋・橋脚工事にかかわったお客様がしまんトロッコのご乗車され、お声をかけて下さいました。

雑誌で、しまんトロッコが三島の鉄道橋を渡っている写真を見て、「あ!これは自分が建設した橋や!懐かしい。」と、しまんトロッコに乗りに来てくれました。

その方から、当時の貴重な写真を見せていただきました。

見せていただいた写真には、真新しい橋脚の姿が写されています。

(なお、写真は、半家駅近くの第6四万十川橋梁であるかもしれません。後日、近くの方に聞いてみます。)

山が紅葉しているので、晩秋の頃でしょうか?

予土線の鉄道橋・橋脚工事は、非常に難工事であったと思います。

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トロッコの始まり

去年の今頃だったと思います。

「臨時観光列車しまんトロッコは、予土線を走り出して31年になります。当時、江川崎駅にお勤めだった国鉄職員さんが豊かな沿線の風景を多くの方に見ていただきたいと、トロッコを始められました。」と、トロッコの中で話していた時、一番奥に座ってたおじさんが、「わしや、わしや」と手を挙げられました。

なんと、当時トロッコを始められた時に、国鉄にお勤めだったそうで、久しぶりにOBグループで乗りにいらしたとのことでした。

予土線の工事にかかわった方、そしてトロッコの始まりにかかわった方と、トロッコの中でお会いできることは、私たちガイドにとっても、大変な喜びです。

ぜひ、また乗りにおいでていただきたいです。

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