『らんまん』話題のトガクシソウ(戸隠草)破門草といわれる理由【ネタバレあり】

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「らんまん」トガクシソウのエピソード 『らんまん』トピック

朝ドラ『らんまん』で話題になるトガクシソウとは、どんな植物なのでしょうか?

史実で破門草と言われる事件は、いったいどんなものだったのでしょうか?

記事の後半にドラマのネタバレも含みます。ご了承ください。

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トガクシソウとは

学名Ranzania japonica 
和名トガクシソウ(戸隠草)、別名トガクシショウマ(戸隠升麻)
分類キンポウゲ目メギ科トガクシ属
分布地本州の中部、北部に分布。多雪地帯の、落葉広葉樹林の林床に生育する。絶滅危惧II類
花期5月下旬~6月上旬
花言葉「完全な美」
トガクシソウの概要

和名の由来

和名の由来は、長野県戸隠山で最初に採集されたことにあります。

学名

正式学名: Ranzania japonica T. Ito

学名を付けたのは、伊藤篤太郎です。

本草学の大家でありシーボルトの助手を務めた伊藤圭介の孫にあたる人物です。

花言葉

トガクシソウの花言葉は「完全な美」です。

トガクシソウが破門草といわれる理由

トガクシソウが破門草といわれる理由があります。

伊藤篤太郎は、在野の植物学者です。

シーボルトの助手を務めた伊藤圭介の孫であり、東京大学植物学教室の出入りも許されていました。

篤太郎は、叔父の伊藤謙が1875年(明治8年)に戸隠山で採集し、小石川植物園に植栽したトガクシソウの標本を、1883年(明治16年)にロシアの植物学者マキシモヴィッチ博士に送りました。

その折、マキシモヴィッ博士は、学名をPodophyllum japonicum T.Itô ex Maxim. として、メギ科ミヤオソウ属の一種として発表します。

東京大学植物学教室の矢田部良吉教授もまた、1884年(明治17年)に、戸隠山でトガクシソウを採集します。

小石川植物園に植栽し、2年後の1886年(明治19年)に開花したものを、1887年(明治20年)にマキシモヴィッチに標本を送ります。

マキシモヴィッチ博士は「本種はメギ科の新属であると考えられ、Yatabea japonica Maxim. の学名をつけたい。正式な発表前に花の標本を送ってほしい」と回答したのです。

伊藤篤太郎は、自分が発表したPodophyllum japonicum がミヤオソウ属の一種ではなく新属であること、そしてYatabea と矢田部教授に献名される予定であることを知ります。

叔父の伊藤謙が採集し、自分が最初に学名をつけた植物の学名が矢田部教授に献名されることをよしとせず、1888年(明治21年)10月に、留学先のイギリスにおいて、植物学雑誌 Journal of Botany, British and Foreign 誌に、新属 Ranzania T.Itô を提唱。

 Ranzania japonica (T.Itô ex Maxim.) T.Itô (1888) として発表しました。

つまり矢田部教授の名前がつけられることはなく、幻の花となってしまいました。

矢田部教授は怒り、伊藤篤太郎を植物学教室の出入り禁止処分にします。

これがトガクシソウが「破門草」と言われる理由です。

トガクシソウは伊藤篤太郎によって「日本人により学名を付けられた最初の植物」であり、「日本で初めて学名をつけた人物」こそ伊藤篤太郎なのです。

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まとめ

ドラマでは、「ホウライシダ」の章「ヤマトグサ」の章「コオロギラン」の章で、徐々にそのエピソードの全容が明かされます。

朝ドラ『らんまん』の中でも、トガクシソウのエピソードが盛り込まれます。

伊藤孝光は、田邊教授を泥棒教授と言い、マキシモヴィッチ博士を世界一の間抜けと揶揄します。

植物学者として、自分が発見し命名したものをみすみす横取りされることを、絶対に許すことはできなかったのでしょう。

トガクシソウのエピソードは、植物を検定し学名を付けることの難しさもあらわしています。

博物館の里中先生の言葉が印象的でした。

「可憐な花を巡って、人間が争っているね…」

万太郎は、多くの植物を明かし世界屈指の植物学者になっていきます。

今後の『らんまん』の展開に注目です。

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