2017年春の甲子園センバツ高校野球大会の21世紀枠に、高知県立中村高校が選ばれました。
私も母校なのでとってもうれしいです。
高知県立中村高校と、学校の近くを流れる四万十川のこと、観光のことなどをご紹介しますね。
中村高校はどんな学校?
県立中村高校は、高知県の西部・幡多(はた)地域の中心市、四万十市(旧・中村市)にある、明治33年(1900年)創立、110年を超える公立の伝統校です。幡多のいろんな地域から子どもたちが通い、平成14年(2002年)からは中高一貫校となっています。
文武両道、勉強も部活動もよく頑張る学校です。野球部はもちろん体育会系の部活動も文科系の部活動も活発で、まんが甲子園本戦にも参加経験のある漫画研究部や、ノリノリの書道パフォーマンスの書道部、団体で全国大会優勝経験(中学の部)のある将棋といった活動などが面白いです。吹奏楽部も中高合同の編成で迫力があって、校内の式典での演奏はもちろん、四万十川沿いの河川敷で行われる春の「菜の花まつり」など、いつも地域のイベントに出場する、地元になくてはならない存在です。
学校は、毎年10月に行われている「四万十川ウルトラマラソン大会」(100k・60k)のゴール会場になっていて、陸上部をはじめたくさんの生徒たちがボランティアスタッフでこの大会を支えています。生徒の献身的な対応に感激するランナーさんは非常に多いです。
四万十川ウルトラマラソンは、20年以上の歴史のある大会です。ウルトラとついているので、超たいへんなマラソンです。なんせ、コースは100kと60kという2コースです。大変なのに、なぜか人気があって、四万十川沿いを走りたい!と全国からランナーが押しよせます。
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学校の出身者で現在活躍中の有名な人には、児童文学作家の中脇初枝さん、漫画家「深夜食堂」の安倍夜郎さんがいます。私も大好きなお二人です。中脇初枝さん書き下ろしの短編小説で映画になった『きみはいい子』は、児童虐待という重いテーマに迫りながらも胸にジンとくるお話でした。
安倍夜郎さんが、中村中学の先輩後輩の仲という作家の左古文男さんと書いた『四万十食堂』は、ふるさと幡多(はた)の郷土料理と、旨~い酒を紹介するイラストエッセーで、読んでいて「うんうん、これ美味しいよねー」と思う内容です。ホント、幡多には美味しいものが多いです。そういえば、このあいだ、ダバダ火振りという栗焼酎で有名な造り酒屋の無手無冠(むてむか)さんへ、安倍さんが『四万十食堂』の取材に来てたよって言ってました。
中村高校野球部
中村高校は40年前(1977年)の選抜に初出場し、エース・山沖之彦投手(元阪急など)を含むわずか12人であれよあれよという間に勝ち進み、甲子園で準優勝した学校です。
当時、たった12人の部員数で臨んだ選手たちは「二十四の瞳」と話題になり、驚きと称賛の声が寄せられていました。
そういえば当時の野球部の監督・市川先生は日に焼けた顔が印象的な先生で、社会の授業中、自分の言い間違いに気がつくと「もとい!」と言って訂正する実直な先生でした。
一度、授業中に「あの決勝戦で、山沖はホントに緊張してたなー」と、思い出すように小さな声でぼそっと言われ、甲子園という大舞台での勝負の厳しさや悔しさ、野球の醍醐味がまじまじと伝わってきたように感じました。
中村さんという苗字で「まるで親戚が出てるみたいで、応援してたよ」と、のちに知り合った県外の友人・中村さんに私も言われたことがあります。 全国の中村さん、今回も応援よろしくお願いします!
甲子園初出場、準優勝からもう40年にもなるんですね。高知県内には私立の甲子園常連校や強豪校がいてなかなか厳しい状況ですが、去年秋の県大会では強豪私立明徳義塾高校に競り勝ち優勝。ちょうど私も大会が行われていた春野球場にいたので、「雲うつす 四万十の青〜」と校歌が流れ始めた時は嬉しくて一緒に歌いました。
でも、対戦相手の野球部員達が、みな何にもしゃべらずに寡黙なまま試合会場から立ち去る姿がいたく心に残りました。後でそのまま練習に行ったそうだよと聞いた時は、あー、やはり勝負の世界は、切れない執念だなと思いました。その後の四国大会で明徳義塾は優勝、これが甲子園常連校としての実力と強かさなんだろうな〜と思ったことです。
その強豪を破り40年ぶり県大会優勝となった中村高校には、山沖投手に憧れた世代、同世代の保護者、そして活躍を見守った地域のみんなの心温かい応援がついています。勝負というのは本当のところ誰にも分からないものですが、代々の先輩がずーっと努力し目指し続けた甲子園の夢。四国代表として、明徳義塾、中村、両校とも頑張ってもらいたいです。
四万十市の歴史と碁盤の街並み
四万十市は2005年(H17年)中村市と西土佐村が合併してできました。人口は現在約35,000人、高知県西部の中心都市で、県内では高知市、南国市についで3番目の規模です。
小京都・中村と呼ばれる街並みは、道路が碁盤(ごばん)の目のように張り巡らされ、通りや地名にも祇園、京町、鴨川、東山といった名前があります。これは、今から500年ほど前、応仁の乱を避けて京都より下向した前関白一条教房が、京に模してまちを作ったという名残です。今も夏のお盆の最後には、山の中腹で大文字の送り火が行われ、11月の一条神社の秋の大祭に合わせ3日間行われる伝統の一条大祭、最近では、室町時代の衣装を身にまとい市内を練り歩く、土佐一條公家行列 藤祭りが5月に行われ、中村の街を賑わせています。
一条公の時代が続いたあと、長曾我部元親の勢力が土佐を統一、幡多をも支配下におきます。が、その時代もほんのいっとき。1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで、長宗我部氏のついた石田三成が敗れ、土佐においても長宗我部氏の時代は終わります。そして、山内一豊が土佐の藩主となり、弟の康豊を中村へ送り置きます。その孫が幕府に認められた領主となり中村を治めていました。ところが、その3代目が!・・・とドラマが起き、所領は土佐藩に没収、中村には幡多郡の郡奉行所が置かれるという、歴史の事情はいろいろあるようです。高知では幕末の志士・坂本龍馬が全国的にも人気があって有名ですが、中村では一条公が今でも身近な存在じゃないかなと思います。
四万十市立郷土資料館は幕末維新博・地域会場
四万十市街を一望できる山内康豊の城跡に、お城の形の四万十市郷土資料館が建っています。2017年(H29年)3月4日から始まる「志国高知 幕末維新博」の地域会場になっています。(注:2017年1月4日よりリニューアルのため休館)
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私も何度か行きましたが、資料館へ上がる道は、けっこうきつい坂道です!自転車で上がっても歩いても息切れします(笑) 車でも道幅が広くはないので、気をつけて上がって下さい。桜の名所、為末(ためまつ)公園があり、見晴らしの良い資料館から、四万十市街が一望できて、気持ちがいいです。
四万十市資料館はこじんまりとした建物ですが、幡多地域の歴史に関すること、土佐一条家にまつわるものから、山内時代、幕末の坂本龍馬と親交のあった樋口真吉の日記、中岡慎太郎の漢詩、中村出身で日本初期の社会主義者・幸徳秋水に関する資料、また日本では四天王寺や法隆寺などに4本しか確認されていない七星剣といった貴重な資料が展示されています。
※なお、四万十市立郷土資料館は工事のため2018年度まで閉館とのこと。2017「志国高知 幕末維新博」の期間中、リニューアルの間はサテライト会場への案内となるようです。(参照:幕末維新博HP) 古い建物でしたので、リニューアル後がとても楽しみです。
【四万十市立郷土資料館】
住 所:〒787-0000 高知県四万十市中村2356
アクセス:中村駅より車で10分
問合せ先:四万十市立郷土資料館 0880-35-4096
参考HP:よさこいネット四万十市立郷土資料館
四万十市の観光・見どころ
話は現代にかえって、ちょっと前のドラマで、生田斗真さん主演、真木よう子さんヒロインのドラマ『遅咲きのヒマワリ~ボクの人生、リニューアル~』の舞台となり、よくロケが行われていました。四万十川に架る沈下橋や菜の花畑、田園の水車のある紫陽花通りなど、心が洗われるような風景が広がり、四万十川とでっかい太平洋が身近にある魅力的な街です。
市内を縦断するように流れる四万十川に、支流の中筋川(なかすじがわ)と後川(うしろがわ)が合流し、より川幅の大きくなった四万十川が太平洋の海へと流れこみます。下流域、汽水域には、鮎や鰻はもちろんのこと、海の魚のボラ、スズキやシマイサキ、キチヌやギンガメアジなどが河口から遡上します。河口から80kmほど離れた四万十川の中流域まで遡上するボラもいるから驚きです!それだけ、四万十川は餌が豊富で、勾配も緩やかで、魚が遡上しやすい川なのでしょうね。鮎も産卵期になると、上流から一気に下流域へと下ります。当たり前かもしれませんが、山の栄養分を含む川が海へとつながり、豊かな生態系を作っていることを教えてくれます。
河口付近で獲れるハゼに似た小さな魚、鮴(ゴリ)は、とても小さくて「どんなに泳いでも一生に五里しか泳げないだろう」と、その名前がついていて、普段は川底の石に張り付いてじっとし苔を食んでいます。漢字で魚が休むと書き、その姿が由来になっているそうです。佃煮すると美味しいです。これも河口付近で採れるものですが、青さ海苔という川海苔も、風味があって佃煮にしてご飯に乗せると美味しいです。
鮎が産卵する下流域だけでしかできない落ち鮎漁(おちあゆりょう)は、四万十・中村ならではの漁法です。
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四万十川下流域で人気の観光遊覧船・屋形船
四万十市では川魚は獲れるわ、海での釣りもできるわで、川と海の恵みが豊富です。もちろん観光拠点なので、川遊びやキャンプなどのアウトドアもできますが、川幅の広い下流域ならではの観光の屋形船(やかたぶね)が人気です。
通常、四万十川では川漁をする2人乗りの小さな川舟が主流ですが、四万十市下流域は川幅が広く、水深も深いため、観光遊覧船の屋形船が運行されています。いくつか業者さんがあって、定期便・随時便・貸し切りなどがあります。乗るだけなら大人2000円、小人1,000が相場です。船の中でお弁当やお料理を楽しむ場合は、それぞれの業者さんでお値段の設定があります。要予約&要相談です。乗り場も遊覧する場所も、それぞれ違います。
屋根のある屋形船だけでなく、昔ながらの四万十川の舟母(せんば)という帆かけ舟に乗り、船頭さんといっしょに櫓かきをして、四万十川を往来する体験コースもあります。舟母(せんば)は、明治時代末期から昭和30年代前半まで、四万十川を行き来する交通手段として使われてきた帆かけ舟です。昔は上流の木炭を河口へ運び、その帰りに日用雑貨・食糧品を船に乗せて上流域へと帰っていく大事な輸送手段だったそうです。多い時は1日に100隻以上の舟母(せんば)が行きかい、大変賑わっていたとそうで、その名残が今も地名として残されています。
のんびりゆったりの屋形船も、少々ワイルドな舟母(せんば)も、目に飛びこむ川の碧、緑の山、頬をたたく川風、川独特の匂いを嗅ぎながら、四万十川を体感する普段はできない非日常体験です。ただし、台風などの大雨で川が増水すると運行ができない時もあります。なんせ、四万十川は普段はのんびりゆったりですが、いったん増水するとたちまち暴れ川に豹変します。これは自然のことなので致し方ないですね。安全に楽しく、四万十観光を楽しんでもらいたいなと思います。
四万十川の源流点はどこ?
四万十川は、全長が196kmの四国で一番長い川です。その源流は四国カルストに位置する、標高1336mの不入山(いらずやま)という深い森にあります。岩肌から染み出してくる一滴の水が、大きな四万十川になります。
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四万十川を眺めながらの列車の旅
四万十川の中流域を平行するように走るローカル線が、JR四国の予土線です。宇和島ー窪川間を往来する予土線しまんトロッコは、自然を楽しみながらのガッタンゴットンと旅する列車です。ぜひ乗りに来てくださいね。
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